心理学に潜む恐ろしいこと

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心理学に潜む恐ろしいこと

 

人が心理学を学ぶ目的は様々だと思います。

 

私の場合、医療としての興味もありましたが、自分の人生として考えると、少し反省すべきことが見えてきます。

 

それは、

 

「簡単に幸せになりたい」

 

という願いです。

 

もちろんわざわざ苦しむべきだという意味ではありません。

 

できることなら簡単にそうなれることに越したことはないと思います。

 

でも効率よく幸せになろうとすると、そこには自分の課題とすべき大きなものに蓋をして、「幸せな気がするだけ」のテクノロジーを得る虚しいループという恐ろしい罠が待っています。

 

私の場合、その罠の一つは

 

「自立」

 

というものに潜んでました。

 

人は誰の犠牲者でもない。

 

自分の人生は自分のもの。

 

だからこそ誰のせいにもしないで、主体的に生きるべきだ。

 

多くの心理学がそう伝えます。

 

この論理は私のようないつも

 

「独り」

 

で考えがちな人間にとって好都合でした。

 

だから誰にも頼らず、自分一人で幸せになろうとするし、自分の幸せばかりに気がいきます。

 

もちろん、心の底では他者と共に在れることを望んでますし、心豊かな時間がそこにあることが望みです。

 

しかし、そうであろうと思うと、自分は人間らしく、伝えると恥ずかしい部分や、弱い部分も見せていかないといけません。

 

そうしなければ、他者は、

 

「この人には自分が居なくても良いのではないか」

 

と思い始めます。

 

「誰にも頼らない代わりに、誰も自分の中には入れたくない。」

 

いつの間にか幸せになるはずの心理の学びが、自分の孤独の城を守るための守備戦闘術となってしまっていたのです。

 

しかも実際には周囲の人間にいろいろとお世話になっています。

 

しかし自分はまるで主体的にのびのびと生きているように振る舞いますから、その人が自分にとって近ければ近いほど、そんな変な部分はボロが出てしまいます。

 

今の社会は、なんでもすぐに安易なテクノロジー化をしようとします。

 

本でも「すぐに◯◯になれる△△の方法」などというタイトルばかりが目立ちますし、私もそんなものを見ると、つい欲しくなります。

 

その本が売れるかどうかという「主に経済的な理由」で、こういう人間心理をついたタイトルの付いた本が出版されます。

 

もちろんその本が悪いということはありません。

 

しかし、そういうタイトルに気が惹かれる心理の奥には、本当に大切なものには目を向けず、安易にすぐに崩壊してしまうような

 

「安易な幸せ」

 

を求める部分があるのではないかと思うのです。

 

私の場合、主体性を手に入れた代わりに、「主体的に生きろ!」と他者を責める部分を生んでしまい、自分が結果として他人を責めてしまっていることに気づくまで、随分時間がかかりました。

 

その間、ビジネス活動としてはうまくいっても、近くの人をたくさん傷つけてきました。

 

そこに気づけないままでは、結局自分の足元が不安定な理由を人のせいにしてしまいますから、本末転倒です。

 

何も主体的ではなかったわけです。

 

自分が望む、深い意味での目的に、今自分が学んでいるものや、これから学ぼうとするものが繋がっているのか、それとも逆にそこから遠ざかっていってしまいはしないか。

 

本当の意味で望んでいるもの。

 

つまり物事の本質を大切に生きていきたいと思うのです。

 

(今回書いた内容は、心理学を学ぶこと自体を否定するのではなく、私個人の経験談です。もし、今心理を学ぶ人たちに失礼がありましたら、あくまで私の個人的な見解ですので、お許し下さい。)

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